「人と同じ時間を人の何倍も有意義に」—パナソニック株式会社 恩田知広《OBOGインタビュー》

1990年にアイセックに入会した恩田知広[おんだともひろ]さん。2年次には副委員長、3年次には委員長、その後1年間休学してアイセックのインターンシップに参加されました。学生時代も現在もグローバルに活躍されている恩田さんの経験や思いをお聞きしました。

――現在の会社でのお仕事について教えてください。

  
 パナソニックの中で調達という物を買う仕事をしています。例えば、皆さんの持っているスマートフォンの中には1000個以上の部品が入っていますが、それらを、どこの国のどのメーカーの部品にし、どのような物流で購入するのかを決めています。相手の会社の経営の状況や、値段、品質等を現場に行って確かめ、購入します。海外製の製品だと、販売価格の80%くらいは部品代、10%くらいが現地の人の工賃、残り10%が利益であったりします。1つの製品で、どれだけ利益が出るのか、従業員に給料を払えるのかを決めるのが私たちです。海外の様々な国で勤務をした後に昨年本社に戻り、現在は冷蔵庫や洗濯機、テレビ等パナソニックの中のほとんどの製品に関わっています。

――現在の会社を選ばれた理由を教えてください。

  
 アイセックで活動して、私は国内外問わず色々な人に出会いました。会社に入っていきなり海外の人と触れ合う経験がなくなることが想像できず、会社に入ってからも色々な人と出会う経験がしたいと思いました。まず、学生時代に海外の工場を見る機会があり、そのうちの1つがメキシコにあったパナソニックでした。それを見て、日本の製品が世界中で愛用されているだけでなく、その製品を世界中で生産することで様々な国で「雇用を生み、現地の方のご家族含めた生活を潤している」ということを実感しました。また、電化製品の中には大量の部品が入っていて、これらの部品のうち300個は韓国産、ここは台湾産、ここは日本産、ここはヨーロッパ産、というように考えると、1つの製品の中に小さい地球儀ができあがり、それが誰かの暮らしを豊かにします。そういうアイセックと似たグローバルな仕事をしたいと面接で伝え、購買部への配属が決まりました。そして、ラッキーなことにここまで12年間、会社生活の半分以上は海外駐在者として働くことができています。

――海外にお勤めしている際は、どのような言語を使っているのですか。

 事務所の中は大卒も多いので英語ですが、部品倉庫では英語は通じません。マレーシアでもタイでも部下が120人程度いましたが、部品倉庫で仕事をしている人、120人いる部下のうちの100人くらいは英語が通じないです。最初は私が英語で喋り、それを現地語に通訳してもらっていたのですが、意図や熱意が伝わっているのかがわからなくて、気持ち悪かったです。褒めるにしても、こちらが英語で言って、誰かが脇から通訳して、ワンテンポ遅れてニコっと笑われるのも嫌でした。そこで赴任してから現地語を家庭教師をつけて毎週末勉強しました。タイ語は読み書きも不自由なく、マレーシア語は日常の片言ですができるようになりました。
 購買は、部品をよく知るために技術的なこともわからないといけません。文系であったのでこの点にはコンプレックスを感じていました。アイセックのインターンシップに参加した後に会社に入ったため英語はそこそこできましたが、「できるのは英語だけだ」というようなことを言われてきて、それが嫌で仕方がなかったです。ですが、ある瞬間から、英語だけだから文句言われるのだと気づきました。仮に5ヶ国語ができたら誰も文句言わないだろうと思いました。

 

――お仕事のやりがいは何ですか。

 やりがいを感じるタイミングは2つあります。1つは、自分が提案した部品が採用され、目標のコストに到達したときです。良いものを設計しても高かったら買ってもらえません。どんなに便利なものでもみんなが買ってくれなかったらみんなの生活が便利にならないので難しくもやりがいを感じます。またそれ以上に、自分の部下の成長を見たときにやりがいを感じます。リーダーとして大事なことで仕事の3分の1は割かなくてはならないなと思っているのが、人材育成です。色々なプロジェクトをやって行く中で、信じてついてきてもらって、成長してもらうこと。リーダーは、自分のチームや部下を成長させることにコミットしなくてはなりません。私がタイの工場にいたときに指導した新入社員に6年後に再会した時に、立派にタイ代表として会社のアセアン地域担当監査人としてリーダーシップを発揮している姿を見たときは嬉しかったです。今日できなければできなくていいですし、半年や1年、10年かかってもいいので、とにかく「できること」を増やそうと部下に言ってきました。海外では、それをできるようになると、給料が上がります。給料が増えると、生活が豊かになり、彼らの両親に仕送りもできます。そのために成長できるチャンスを与えること、指導することに対して私はコミットします。

――では、恩田さんにとってリーダーシップとは何ですか。

 まずは、みんなが成長することにコミットすること。部下に仕事をやらせて成果だけ奪ってしまうようでは、リーダーではないと思います。それからリーダーは、厳しい状況にいてもしっかりとゴール・希望を見せることが大切です。工場の仕事でいうと、製品が売れる、ライバルに勝つ、会社の利益が増える、従業員の給料も増える、あなたの両親にも何かが買える。このようなゴールや目標を示し、それらを達成するために一緒に成長することにコミットする。もちろん義務でやらなければならないこともあるのですが、全部が全部義務感ではもたないので、楽しさも見出すよう心がけています。
 私がアイセックで活動していた頃、先輩から「仕事って言うな、活動って言え。」と繰り返し言われました。給料も貰っていない、誰かに評価されているわけでもないのだから、仕事ではないのです。活動なら楽しくなくてはいけないですよね。

インタビュー中の恩田さん インタビュー中の恩田さん

――アイセックに入ったきっかけは何ですか。

 最初、大学に入ったときは芝居がやりたいと思い芝居のサークルを見に行ったのですが、それが楽しそうではなかったのです。他のサークルもいくつか見たのですが、つまらなくてサークルを見て回るのに疲れてしまいました。そして、当時の厚木キャンパスの芝生に寝転がっていました。すると級友が見たいところがあるから付き合ってほしいと言われ、ついていったところがアイセックでした。当時はインターンシップだけではなく、企画事業もあり、夏にスタディーツアーでフィリピンに行くと言っていました。「熱帯雨林は持続可能な資源となるか」というテーマで何年も前から先輩方が活動してきた集大成としてその年の青山祭でシンポジウムをやるということでした。シンポジウムにはパネラーとして教授や専門家が来るのですが、そのパネラーの1人をアイセックの先輩から出すというのです。プロの人たちと対等に話をするためには勉強が必要で、現地で植林の現場確認にも行かなくてはならないので、実際にその年の夏にフィリピンへ熱帯雨林の見学に行くことを宣伝していました。それを聞いて私もフィリピンに行きたいと思って入りました。正直最初は全く熱帯雨林には興味がなく、唯々フィリピンへ行きたかっただけでした。フィリピンへ初めて行き、熱帯雨林について何も知らなかったけれど知ることもできました。

――アイセック現役時代のご経験について教えてくだい。

 アイセックに入会してからは積極的でしたね。首都圏のアイセックの1年生が集まる合宿の実行委員に入り、厚木から新宿まで毎週1回ミーティングに行っていました。春の首都圏合宿を成功させ、夏休みから青山祭までは先ほど言った熱帯雨林の企画でスタディツアーやシンポジウムをやりました。冬には国内総会のホストが青学でそのお手伝いと、その場で翌春に台湾で開催される北アジア地区モチベーショナルセミナーの代表選考があり、日本代表として先行に選ばれ、2年生の春にはそのセミナーに参加してきました。2年生の秋から副委員長、3年生の年には委員長、その後1年間大学を休んで海外インターンシップに参加しました。
 アイセックの日本委員会からも声が掛かりましたが、最終的に青山学院大学委員会委員長を選びました。私が現役の時は、青山学院大学委員会がなくなってしまうのではないかという危機的な状況でしたので、活動を増やしました。方針は質より量でしたね(笑)。執行部全員が様々なセミナーやスタディーツアー等の活動責任者を兼務していました。今も青学アイセックが残っているというのは幸せなことだと思います。今もアイセック関連で深く繋がっている人の多くは大先輩だったりずっと離れた後輩だったり私が現役時代には全く知らなかった人です。アイセックという共通点1つで多くの人と繋がり、世界のどこかで再会し、家族ぐるみでもお付き合いがあるのは人生にとっても貴重だと思います。

――アイセックでのご経験が現在活きていると思う点はありますか。

 海外勤務が12年間と長いですが、どこの国や人種に対しても先入観や差別感が全くない事です。国をまたいだ関わりには国家間や企業間だとなかなか問題が片付きませんが、1対1ならそうでもないです。アイセックで活動して行く中で他国に対するな余計な先入観やこの国の人はこうだからダメなんだ等という固定観念はなくなりました。タイでタイ人と仕事をしたり、中国の工場から部品を買ったりするとき、商談上、個人個人では国家間の関係を意識することもないです。とはいえ、残念ながら今でも他の国を下に見ている人もいます。世の中には日本だけが素晴らしいと思っている人もいますが、そんなことは絶対にないということをアイセックが実体験をもって教えてくれました。それをベースに仕事ができているから、タイ人であってもマレー人であっても部下は付いてきますし、彼らから色々なことを教わることができ、自分の成長に繋がっています。

――学生に向けてメッセージをお願いします。

 学生は作ろうと思えば時間とお金は自由なので、何でもかんでもやってみたら良いと思います。全員に平等に24時間があり、大学生活は基本的に4年間あります。同じチャンスを人の何倍にも楽しく、有意義に感じるように活動する。それの積み重ねだと思います。例えば、何かのセミナーへの参加やインターンシップ生の受け入れとか、チャンスがあったら先入観で拒絶せずまずやってみる。チャンスは平等にあります。でもそのチャンスが来たら飛びついて、それを(他人よりも)最大限に生かす。そうでないともったいないと思います。私自身がアイセックに入った理由がたまたま友人に付き添いに来てほしいと言われて、それを断らずに付き合ったことが、今に繋がっているのですから。

2019.01.31