「自分が誰かの役に立てることを」 ―― フリーランス 星 英次 《OBOGインタビュー》

1983年にアイセックに入会され、2010年度より、2018年度までアイセックのOBOG会長を務めてくださっている星英次[ほしえいし]さんにお話を伺いました。現役当時はアイセックのインターンシップに参加し委員長を務め、社会人になってから転職もご経験された星さん。学生時代から様々なご経験をされている星さんにこれまでのご経験と今後の展望についてお話いただきました。

――星さんが活動していた1980年代はアイセックはどのような活動をしていましたか。

  
 現在と同様にインターンシップの運営を行っていました。当時はインターンシップに参加するのは主にアイセックのメンバーだったので、外部の学生に対してもどんどん展開をしていこうという風潮でした。ただアイセックのメンバーではない学生に対し、実際に参加したことのないメンバーがインターンシップへの参加を推奨してもその魅力が伝わらないと思いました。そのためメンバーがアイセックのインターンシップに参加すること、また青少年向けの国際プログラムを探してきては海外に渡航することを推奨していました。現在のアイセックのように様々な企業に受け入れを提案しに行くというよりは、特定の会社との関係を強固にすることに重きを置いていました。また、メンバーには、ビジネスに興味があっても文化に興味があっても観光に興味があっても構わないからとにかく自分の好きなことをやるように伝えていたので、メンバーは主に企画を立案して、企業の方を招聘する等の勉強会を行っていました。
1970年代は日本の会社がどんどん世界に進出し始めて、日本の製品を輸出するようになり貿易摩擦が生じ、貿易戦争に繋がりそうになった時代でした。そこで20周年記念式典では摩擦と協調をテーマに海外の企業を招聘し、勉強会を行って、日本語と英語でレポートの作成等を行いました。

そもそもアイセックは、世界各国で戦争が勃発していたときに、学生の時代から他国の企業で働いて友達を作り、将来世界の人々と良い関係を築こうと立ち上げられたものです。日本も戦争をしていた時代がありましたが、これからは東南アジアをはじめとする世界各国の人々と交流をしていかなければならないため、学生を海外の企業に派遣するインターンシップというものが良いとされ、日本経済団体連合会がバックアップして日本にもアイセックの支部が立ち上げられることとなりました。だから、現在のアイセックの運営するインターンシップよりも、よりビジネスに近いものでした。今とは違い、海外もそれほど身近ではなかったので、年間を通じてアイセックのインターンシップで派遣される学生は50名程度だったと記憶しています。当時はまだ法人化していなかったため、大学から支援金をいただくなど活動資金をやりくりしていました。
当時は、インターンシップだけだと海外に派遣する学生の人数が増えないので特定のテーマを選定し行うSTP(Seminar Training Program)というものがありました。僕が1年生の時には「金融の国際化」をテーマに、銀行に外国人の学生を招き金融STPというものを行い、2年生の時にはInformation Revolutionというのをテーマに、今後、通信網が国際化して自由に情報が行き来すると、社会がどのように変わるのかを学びました。またそうしたプログラムを行う中で経団連の人々と関わるので、ビジネスのいろはを学びましたね。

――星さんが参加されたアイセックのインターンシップでは具体的にどのようなことをされたのですか。

  
 大学2年生の時にシカゴでのインターンシップに参加し、ヨーロッパの学生や教授をオックスフォードに招聘し、日本についての議論を交わしたり、教授の講義を受けたりするイベントを開催しました。当時、フランスのアイセックメンバーと共に仕事をしていましたね。一緒に仕事をする上で、日本の文化や考え方が新鮮だったようで、彼のインターン体験記にその感想を掲載してくれていましたね。当時同じ企業で違う国の人と同じ仕事をするというのはとても貴重な機会でした。

――アイセックでの活動が社会人になって活きたという経験があれば教えてください。

 アイセックでは英語の基礎力と日本について説明する力が身についたと思っています。僕は地方出身で、戦争体験者ではないが、戦後という意識があります。今後日本が国際化するにあたり、海外の人々に、日本人や日本企業を正しく理解してもらい、世界の人々と仲良く働き、付き合っていけたらということをずっと考えていました。そうしたこともありアイセックに入会し、大学1年でドイツ人の学生をアイセックのインターンシップで日本の企業に受け入れました。そのインターン生に日本の経済や歴史、政治や産業について質問攻めにされた時、自分の考えがあるもののそれをうまく伝えられないことにもどかしさを感じました。そこで大学1年でケンブリッジの英語学校に8週間英語を学びに行きました。そして社会人になり、中国やインド、ベトナム等に日本が市場を開拓する仕事に携わる中で、大学入学以前に考えていた「日本を信用してもらって有効な関係でともに働ける社会」が実現したらいいなと思いながら、そうしたことを実践する仕事に関われたことは良かったなと思っています。英語の基礎力はケンブリッジの英語学校に留学しただけでなく、アイセックのインターンシップへの参加やアイセックの活動でも培われましたね。僕が参加したシカゴでのインターンシップ期間中に、オックスフォードで日本についての理解を深めるイベントを開催するにあたり、参加者に日本の教育や政治、歴史や経済について説明しないといけないと思い、そこで自分の言葉で説明できるくらい勉強したことが自分の基礎力になっています。

 

――今もアイセックにお力添えいただいているのはなぜでしょうか。

 僕は学生時代に、委員長も経験させてもらい、またインターンシップに参加、先ほど話したSTPにも参加させてもらうなど様々な経験をさせてもらいましたので、そうした経験を学生に還元するために今も学生と交流しています。

――アイセック青山学院大学委員会のOBOG会はなぜ誕生したのでしょうか。

 学生がアイセックに入会してすぐに活躍するというのは難しいので、OBOGにせっかくアイセック活動を経て培ったスキルや経験があるなら、現役学生にアドバイスやサポートできることがあるのではないかということで発足に至ったのだと認識しています。

――OBOG会長を務めてくださったのはなぜでしょうか。

 あの先輩に会いたい、あの後輩に会いたいという時に気軽に参加できる懇親会、特段役職についていなくても、少しでもアイセックにいた人ならだれでも参加できるようなOBOG会になればと思い務めています。その時その世代でOBOG会に参加しようと思うきっかけはなかなかないと思います。そのような中で、これから色々な経験をして社会へ巣立っていこうとしている後輩の背中を押せるようなOBでありたいと思います。

――OBOG会長を務めてくださった中で印象的なことはありますか。

学生が、高校を卒業して間もない時期から、段々と大学生としての意識が醸成されて、しっかり成長しているのをみたり、学生が社会人になって、顔つきが変わってきたり、自信を持って仕事の内容を語っているのをみたりすると、アイセックという共通の文脈を持つものが成長している姿を垣間見ることができるのは貴重な経験だなと感じています。

――2018年度で星さんはOBOG会長からご退任されますが、今後のOBOG会の展望はありますか。

 今はOBOGと現役との交流がメインですが、OBOG同士のネットワークをもっと活用していける場になったらと思っています。ただOBOGのニーズを満たすような業種間交流の機会は他にいくらでもあるので、様々な年代の幅広いネットワークを構築できる場になるよう心がけていました。OBOG同士の交流がより盛んになればいいとは思いつつも、強制的に何かを行うのではなく、何かしらのニーズが発生した時にアクションを起こせる人、それを継続する人がいることが重要だと思いますね。個人的には、定期的に勉強会を開催するようなことでも十分かなと思います。これはあくまで一例ですが、これはやりたい人が自らやっているから続くわけですが、1つのコミュニティのあり方だと思います。

――仕事をする上で心がけていることはありますか。

 その行く先の国々との歴史的な関係や国際関係を学んでから接するように心がけていました。そのようにして仕事をして、文化を理解しながら、日本企業とやりとりをする際のノウハウなどを伝授したりトラブル対応をしたりしていました。そのようにインドに赴任して仕事をした後、担当地域がインドから変更になった際、それまで一緒に活動していたインドの人から「一生、星さんを見くびらないし、兄貴だと思っている」と言われた時に頑張ってよかったなと思いましたね。信頼関係が築けたからこそ言ってもらうことができた言葉でした。

――これまでどのようなキャリアを積まれてきたのでしょうか。

 僕は1990年に銀行を辞めたのち、3ヶ月ほど会計試験の勉強をし、転職して外資系の会計事務所に勤めました。資格を持っていないが故に、会計の仕事ではなく、その会社の人事部に勤めることになりました。そこでは、日本での優秀な外国人の採用と、それにあたって必要な社会保険の制度設計を行いました。

――今後どのような活動をしていく予定なのでしょうか。

 これまで様々な経験をしてきた自分だからこそ、残りの人生をしぼんで終わらせるのではなく、もう一度リスクテイクをしてもいいのかなと思い、今後は出身地の宮城で政治に携わろうと考えています。同じ仕事をしていると保守的になってくるが、これまでの人生を振り返ると、自分が学生の時に色々なことに挑戦して色々な経験を経たことが今を形作っていると、他の人との差別化を図ることができているのだと思いました。宮城で震災が発生し、復興支援金があるにもかかわらず、使い道がわからない、国と上手く連携できていないという課題を認識したことがその道に進もうと思ったきっかけですね。

――星さんのモットーとしているものは何でしょうか。

 OBOG会長を務めるに至ったのも現役学生のため、仕事を辞めたのも宮城のためなど、
自分がやりたいと思ったことより、自分が役に立てることを探していますね。己の欲求を満たすよりも誰かに感謝してもらうことが自分のモチベーションの1つになっているのだと思います。

2018.10.26