『アイセックを辞める理由より、続ける理由を探していた。』 ——株式会社ファーストキャリア 天野 佑里《OBOGインタビュー》

 アイセックでは、送り出し事業局と受け入れ事業局に分かれ、それぞれが海外インターンの運営を潤滑にできるように活動を行なっています。今回は、2014年度、青山学院大学委員会で、送り出し事業統括をされていた天野佑里[あまのゆうり]さんに、送り出し事業局統括時代のご経験を伺いました。また、4年生で、アイセック・ジャパンのメンバーとして、JWIプログラム実行委員長、アイセック・ジャパン送り出し事業局での活動を選んだ理由や、ご自身の社会人生活に生きているアイセックで培われたスキル、OGになってもアイセック現役生に関わってくださる理由についても、お話をしていただきました。

——アイセックに入会した理由を教えてください。

 入会の理由は2つあります。1つ目は、漠然と自己成長したいなっていう気持ちがありました。大学入ったら何かしなきゃ、語れる経験が欲しいと思っていましたが、アイセックなら成長できそうだと感じました。
 2つ目は、海外で働くことに興味があったことです。当時、国際政治経済学部在籍していたこともあり国際協力に興味があって、海外の人と関わる何かをしたいなと思っていました。そういう経験もアイセックでは得られるんじゃないかなと思っています。
 大きくその2つの軸があり、サークルを探した中で1番、アイセックがよさそうと思って、入会しました。ただ、自分はアイセックのことを知らなくて、クラスの友人に説明会に行こうって誘われたのがきっかけでした。なので、アイセックのことを知らずに他のサークルに入会していた可能性もあったので人生って面白いですね。

——3年生の時に、送り出し事業局の統括をしようと決めた理由を教えてください。

 アイセックの運営する海外インターンが好きだったからです。インターンを通じて絶対に人が成長するという、アイセックのインターンの価値を実感していたことが大きかったです。1、2年生のときにアイセックの海外インターンで、自分が担当したインターン生や、他のメンバーが送り出したインターン生を見ていて、人が変わる過程を近くで見ることができました。だからこそ、絶対アイセックのインターンは価値あるものだ、価値あるものだから、もっとより良くしていきたいと強く思いました。その時、じゃあ自分はその中心になろうと思って、統括を志望しました。

——送り出し事業局の統括をやっていて、大変だったことはありますか。

 大変だったことは2つあって、1つ目が、危機管理などのオペレーションです。渡航管理には、インターン生の安全管理のためのスケジュール管理・書類チェック・本人とのコミュニケーションがありました。最初は慣れなくて、更にそのときはインターンの数も爆発的に伸びていたので、その渡航管理が大変でした。タスク面だけではなく、精神的にもプレッシャーが大きかったです。インターン生に何かあったら統括として、責任を取らなければいけないという思いで活動していました。
 2つ目が、メンバーとの協働です。メンバーがその時、数十人いたと思うんですが、モチベーション管理がすごく難しかったです。メンバーがそれだけいて、それぞれアイセックにいる動機も違うわけで、例えば、友達がいるからアイセックにいるっていう子もいれば、アイセックに大学生活をかけている子もいます。その様々なモチベーションがありながら、同じ目標のインターン数と、どういう送り出し事業局にしたいっていう1つの理想の方向に向かっていかなければいけなかったので、特にメンバーの活動の動機付けが大変だと感じていました。インターン生のサポートをするための資格を取るとか、メンバーとして最低限履行してほしいという程度のこともあるけれど、本人がそれに意味を感じなかったらそれまでです。でも、アイセックを選んでくれたからにはメンバーにも成長して欲しくて、頑張って向き合おうと思っていました。けれど、人数が多かったこともあり、皆に同じ分だけは関われなくて、悔しい思いも沢山しました。

——青山学院大学委員会での送り出し事業局でのご経験の後、アイセック・ジャパンの送り出し事業局での活動を選んだ理由を教えてください。

 そうですね、やっぱり、アイセックの描く理念も好きだったし、アイセックの海外インターンを通じて人が変化していくことの意義に魅力を感じていたからですかね。アイセック・ジャパン事務局に入るときも、凄く迷いました。アイセックをこのまま続けるか、辞めるか。就活との両立や他の機会でも良いんじゃないかという思いもありましたし、様々な人に相談しました。アイセックを続ける・辞めるそれぞれの選択への賛否の意見をもらいましたが、アイセックに残る理由の方を探していることに、途中で気づいて、「あ、私アイセックをやりたいんだな」って思ったんですよ。「アイセックじゃなくてもその経験を積めるんじゃないか」って言われても、でもこういう理由でアイセックじゃないといけないんじゃないかな、とか、何か理由を探したくなってしまって。そういう経緯で、アイセックを続けたいんだっていう自分の気持ちに気づきました。その時に、もう、アイセックをやりたい自分に観念しようと思い、アイセックでもう1年頑張ろうっていう気合が入りました。決めた道を正解にするのは自分だし、やるしかないと思いました。
 就職活動に関しては、海外に行くよりも、もうその頃に人材系の仕事したいなって思っていました。自己分析もアイセックの活動の中でやれていたし、やりたい方向性はもう決まっていたから、就職活動の準備に時間はかからなかったと思います。アイセックにいると、自分の将来を見つめざるを得ない機会が多かったので(笑)

——アイセック・ジャパン事務局では、どのような活動をされていましたか。

 アイセック・ジャパン事務局では、送り出し事業局と、JWIで活動をしていました。JWIは、もともとやりたかったんです。企業の方にも協力していただき、徹底的に自分を見つめ直す時間が与えられるっていう意味で、やっぱり人が変わる瞬間っていうのを1番、追求できるのがJWIだなって思っていたからですね。

——4年目のアイセック・ジャパン事務局での活動が1番楽しかったと思う理由はなんですか。

 自分のやりたいことに結構集中できたということと、メンバーと1つのものを共創できた、その為にチームとして機能した感触があったからですかね。特に、3年目、委員会で、送り出し事業局の統括をしていた時は、メンバーに対してあまり頼れなくて、人に任せるとかっていうのはあんまり無かったのかなっていうのは思います。4年生の時は、自分の弱さも認めて、「これできないから、これお願い」って言えるような、メンバーとの信頼関係を築けました。それに、この人だったらこれ任せたいなとか、人の強みを生かしながら役割分担もできるようになって楽しかったです。チームプレーというか、チームが一丸となって頑張れたことが、楽しかったかなと思います。
 委員会にいる時は、自分もやらないとっていう感覚があったし、メンバーにもやらないと、という感覚を押し付けていたなって思っています。4年目は、自分も成長したからか、アイセック・ジャパンでも、JWIでも、自分がこれをやりたいとか、こうなったらいいんじゃないかという案も出していけた気がするし、理想を描くことができていたように思います。それをメンバーにも感じて欲しくて、例えば、デザインが得意だったら、デザインをやって欲しいというように。そういう個人のやりたいこと、得意なことに合わせて、1人1人を生かす事ができたんじゃないかなっていう点でも、4年生が1番楽しかったのかもしれない。「やりたい。」で人を動かせるようになったって思えたのかな。

——アイセックでの経験を通して、1番ご自分で誇りを持っている経験はなんですか。また、そのご経験について教えてください。

 全部ですが、特に言うとすれば、やはり4年生の時のJWIです。本当に理想を追求して、こういう人材を輩出したい、この子の将来の一助になりたいっていう、明確な意思をもとに、本当に目の前の人にちゃんと向き合ったからです。チームメイトもそうだし、JWI生もそうだし、ちゃんと向き合えた感触が大きかったです。
 その経験の中でも1番辛かったのは、夏インターンと春インターンがあって、夏インターンに全然参加者が集まらなかったんです。企業の方にもご協力いただいていたのに、目標の人数を全く達成できなかったんですね。アクセンチュアの方からと、「春インターンはどうするの、ちゃんと来期は人数が集められるのか」と当然そういう話になりました。このままだとJWIプロジェクトが切られるんじゃないかっていう危機感もありました。それを受けて、どうしてもJWIというプロジェクトを無くしたくない、絶やしたくないという気持ちで、チームでもすごく話し合って、協働しているアクセンチュアの担当者の方の所に毎日通ったりもして提案書も10回以上書き直しました。そのおかげで、春は、夏よりいい数字が出て、申し込み自体は、30件くらいありました。それは誇れることかなと思います。
 また、いろんな委員会を行脚したのは楽しかったですね。テストの合間を縫って、関西にも夜行バスで行きました。より多くの人にJWIに申し込んでもらうために、オンラインのプロモーションとかも大事だけど、やっぱりそれぞれの委員会で、JWIの認識とロイヤリティーが、結構鍵になると感じたからです。委員会によって、JWI?なにそれ?っていうところもあれば、JWIに行けば、質が高く、凄くいいインターン準備を受けさせてもらえるので必ず薦めるものという認識のところもあり、かなりバラツキがあります。後者の紹介の仕方を、インターン生にして欲しいじゃないですか。なので、委員会に直接行って、例えばJWIで実際に使う自己分析を体験してもらってその良さを直接その委員会にプロモーションしていました。訪問は地道ですが、1番効果が高かったので、関西はほとんど回りました。京都大学委員会・大阪大学委員会・同志社大学委員会・大阪市立大学委員会・神戸大学委員会も行ったな。そういうのも大変だったけど、楽しかったです。行きの新幹線や夜行バスで、プレゼンテーションのためのパワーポイント作るのも、凄く大変でしたが、やりがいはありました。

——アイセックでの経験が、ご自身の社会人生活に活きたことはありますか。

 まず、自分が今このキャリアを選んでいる理由がアイセックで作られた点です。私は現在の仕事で、新入社員研修や若手を育てる仕組みはどうしたらいいのか、そういうことに関わる会社にいます。社会人になって、そういうことをしようと思ったのも、特にJWIで、人が自分のやりたいことや自分の可能性・強みに気づいて、それを開花させることが1番、自分もハッピーだし、周囲にもハッピーになるなって思えたからなんですよね。そういう自分の可能性や強みを、社会人1年目の若手って言われるところから、ちゃんと認識させられたらなっていう思いが生まれたのは、JWIでの経験がきっかけなのです。今の仕事を選んだ理由、動機が、そこに依るものが大きかったです。1年生から3年生の時に感じた、人が変わっていくことの意義とか、それの延長線にはなりますが、やっぱりJWIが決め手というか。それをしていきたいなっていう決定打になりましたよね。
 あとは、細かいことですね。パソコンを普通の大学生よりも使えるとか。定例ミーティングを毎週やっていたから、メンバーにいかに情報を効率的に伝えるかという点で、パワーポイントのデザインだけは凄く凝るようになっていて、褒められたこともあります。人前でプレゼンする時の度胸も、毎週の定例ミーティングや、JWI生の前で話すことで鍛えられた気がします。人の心を開く、傾聴力も養われました。そういう細かいことを言えば、キリが無いですけどね。

——今も、天野さんが現役アイセックメンバーに関わってくださる理由を教えてください。

 当時の気持ちを思い出すことで、頑張んなきゃなっていう気持ちにもなって、モチベーションが上がるっていうのが1番ですね。素直に頑張ろうと思えた大学生時代の記憶が蘇ってくるのが、頑張ろうと思えるきっかけになるから。また、自分もアルムナイ担当として色々とOBOGの方にお世話になっていたので、自分も下の世代に返していかないとと感じていることも大きな要因です。

——アイセックに入会して、得られたものはなんですか。

 私は、好奇心と挑戦、ここでしかできなさそうとか、そういう気持ちで、アイセックの活動を選びとってきました。アイセックじゃなくてもいいと思いますが、何かをやりきったっていう感覚は、大切だなって思うんです。自信につながることもそうですが、やりきった経験を通じて、自己を知ることに繋がると思うんです。例えば、自分はここでエンジンがかかるんだ、自分が大事にしているものがなんなのか、自分の強みや弱みってなんだろう…。中途半端にやっていると見えてこないんですよ。何かをやりきったこととか、これやりきりたいなっていうところに、自分の軸があるので、それを探すために何かを成し遂げることは大事です。それを見つけて働いている今、働いていて楽しいし、それを見つけられたことが、本当に良かったです。私もまだ夢の道半ばですが、これからもアイセックで得た経験や想いを大切にしながら頑張っていきたいです。

2017/11/16